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シンポジウム「労働・教育・福祉の一体化に向けた政策課題を探る」に出席

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平成27年5月23日(土)に京都駅前のホテル・セントノーム京都で開催された、NPO法人「あったかサポート」主催の「労働・教育・福祉の一体化に向けた政策課題を探る」に出席しました。
パネリストは、濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)、本田由紀(東大教育)、埋橋孝文(同志社大社会福祉教育)の三氏で、労働・教育・福祉の三つの分野をつなぐ政策課題について議論を深めるための共通するキーワードとして生活困窮者自立支援法を取り上げて企画されたとのことでした。キャラの立ったパネリストを選んでいたにもかかわらず、あまり議論が深まらなかったな、というのが聴取後の私の印象です。

濱口氏の次の著書については、以前に読んでいましたし、平成25年の京都社労士会の勤務社労士セミナーでの講演を拝聴していた(その際、名刺交換をさせていただきました。)こともあり、出席を楽しみにしていました。

①『新しい労働社会』(岩波新書)
②『日本の雇用と労働法』(日経文庫)
③『若者と労働』(中公新書ラクレ)
④『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)

氏は、メンバーシップ型ジョブ型という概念を提示され、上記の各著書で雇用を中心とした労働法にまつわる諸問題・課題を明快に分析され、その成果は、労働経済や雇用の分野に止まらず、現代の日本社会の諸問題を論ずるに当たり(現在ではメンバーシップ型ジョブ型という概念がごく一般的に用いられている)、少なからず影響を与えているのではないかと思います。
二つの概念により対象を分析する場合、得てして「二項対立」的な弊害に陥るのが常ですが、氏は上手くグラデーションを効かせて論を展開されているため、分析の網から漏れ落ちる事象が最小限に留まっている、というのが氏の著作に対する私の感想です。

本田氏については、事前に次の著書を読んでいました。①と③は、このシンポジウムの開催案内がある前から読んでいました。②に関しては、③を読んんだあと、①とともに Amazon で取り寄せ、ツン読していたものを、今回のシンポジウムに合わせて読了しました。

①『「ニート」って言うな!』内藤朝雄、後藤和智との共著(光文社新書)
②『軋む社会』(河出文庫)
③『もじれる社会』(ちくま新書)

今回のシンポジウムで使われたPP資料 戦後日本型循環モデル に関しては、ご本人が「毎回、同じ曲を歌う流行歌手」などと照れ隠しに前置きされていましたが、①は“ニート”に関する著書なので、まだ、現在の 戦後日本型循環モデル は使用されていませんが、それらしい原型となるようなモデル図が掲載されています。

しかし、“ニート”っていう言葉、最近はあまり使わなくなってしまいましたが、実態が存在しなくなったからなのか、それに代わる言葉が使われだしたからなのか、どうなんでしょうかね。まさか、“ニートって言うな!”ということで言わなくなったということはないんでしょうが・・・

濱口氏が メンバーシップ型 と ジョブ型 の二つの概念をツールとして用いられているのに対し、本田氏は「教育」「仕事」「家族」という三つの社会領域の連携構造の分析を通じて 戦後日本型循環モデル というツールを編み出し、現実の社会の変遷に沿って、議論を展開していっておられますが、最後に提示される処方箋は、分析の斬新さに比べ、 ややありきたりな印象に終わってしまっているような気がしないでもありません(社会学者ですから、それでいいのかも・・・)。
当日、席上ではなかなか威勢もよく、ウィットにも富み、東大の社会学といえば、かつて名を馳せた有名女性教授がいました(教授退職後の現在も活躍されていますが)が、当日の本田氏も、なかなかどうして・・・あの某女史に勝るとも・・・第二のTUとも・・・いやいや・・・

「社会福祉」に関しては、私はあまり馴染みがなく、埋橋孝文氏については、当日、初めて拝見しましたので、特にコメントはありません。おっとりとした関西風の喋り(「喋り」ではなく「発言」ですね、失礼!)に親しみが持てました。

「労働」「教育」「福祉」のそれぞれの専門家が、三つの分野をつなぐ政策課題について議論を深めるための共通するキーワードとして生活困窮者自立支援法を設定した、ということだったんですが、シンポジウムを行う場合、普通は、パネリストには、特定のテーマに関する当該分野の専門家を選んで意見交換するのが一般的ではないのでしょうか。
今回は三人のパネリストが生活困窮者自立支援法を共通のキーワードにして、それぞれの専門分野の立場から発言を行い、その後、それぞれの意見に対して他の二人が各々の立場から感想や意見を述べるということだたんですが、これってパネリストもやり難かったんではないでしょうかね。
各々の専門分野の立場からの意見については、仮に相違点があったとしても、それは基本的にはそれぞれ拠って立つ立場が異なるからなのであって、当然といえば当然のことと思われます。立場の相違はあっても、双方の立場をお互いに尊重する以上、根源的な反対意見が発言される機会は少ないのではないでしょうか。結局、専門分野の周辺部の、ある程度、見解が近い領域に関してコメントを述べる程度に止まらざるを得ないのではないでしょうか。

「労働」と「教育」と「福祉」の三つの分野を通じて議論できる今日的なテーマっていうのは限られてくると思いますが、私なら、“三題噺のお題”としていただいたとしたら、まず思い浮かぶのは「家族の格差と教育の格差」というテーマですかね。「新卒一括採用」なんかも面白いんですが、「福祉」とは関係が薄いですしね。

「家族の格差と教育の格差」というテーマで、一方の端に「正規社員」を置き、他方、反対側の端に「生活保護」を置いて、中間地点に「非正規社員」を置くようなイメージ図で考えると、「正規社員」の「賃金」には「生活給」として、一般的には「扶養・家族手当」が含まれていますから、「教育」にかかる費用は企業が負担していると考えることが可能です。一方、反対側の端の「生活保護」では「教育扶助」という制度があるにもかかわらず、その対象は義務教育に限られています。その間にいる「非正規社員」の賃金には、「扶養・家族手当」など含まれていませんから、仮に、「非正規社員」同士が結婚したとしても、当然、「教育」に費やすお金などありません(「児童手当」などもありますが、これも義務教育の段階止まりです。)。
少子化対策の問題とも相まって、子供の養育・教育費コストを社会的に負担するシステムの問題は、今日の日本の社会にとって、急務の課題と言えます。さらに、義務教育、中等教育を終えた後の高等教育に関しては、社会福祉的にサポートする仕組みはなく、文部科学省所掌の「奨学金制度」ということになりますが、日本の場合、給付奨学金ではなく貸与奨学金が一般的で、謂わば“学生ローン”というようなものでしかなく、その奨学金により大学に進学し、「教育の格差」を克服し得たとしても、長い期間に亘って返済の義務が付きまとい、「家族の格差」の格差は“伏流水”のように途切れることがありません。

「幼稚園と保育所」「大学病院の教育と診療」「医師の養成」など、文部科学省と厚生労働省の管轄下で省庁の壁による縦割り行政の弊害はたくさんありますが、この「教育扶助と児童手当と奨学金制度」など、その最たるものではないでしょうか。

まだまだ、ここら辺りの問題点や論点は尽きることがなく、濱口氏は「労働」本田氏は「教育」埋橋氏は「福祉」と、三つの立場が相違していても、今日的な、噛み合った熱い議論ができたのではないでしょうか。

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